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2006年 07月 20日
今、フジテレビで「裁判員制度導入に伴う模擬裁判」という番組を観ている。
裁判員制度導入については以前から話題にはなっていたが、昨日可決されたとのこと。 それについてどう思うかは、またの機会にするとして、今はこの観ている模擬裁判について書く。 この「模擬裁判」はある実際に起きた事件を基にし、裁判官、検事、弁護士は実際の司法にたずさわる方々、そして、被告や遺族は役者、それに100人の応募の中から無作為に選ばれた6人の一般裁判員から成っている。この6人というのは本当の裁判員制度でも実施される人数だ。 なぜこの記事を書こうと思ったのかというと、その一般裁判員の中の1人を見て、非常にこの導入は危険だと思ったからだ。鈴木貴子というこの一般女性、自分で応募してきたわけだしテレビでも顔を写してるわけだから、ここに(仮名だろうが本名だろうが)出してもいいだろう。 この人が非常に想像力、論理力、その他いろいろな感性が欠けていて正直ものすごく頭にきた。今もこの人の発言がいろいろ流されているが、ただ出たがりなだけ、自分が多少は頭がいい(知的好奇心旺盛だ)と思っている人種に他ならない。 この基にされた事件は、18歳の少年が、23歳の主婦を強姦目的で殺害した上でその場にいた主婦の娘(1歳)をも殺害した事件だ。残された夫が死刑を訴えていて、最近、最高裁で、それまでの判決ー無期懲役を棄却し、事実上死刑判決が予想される事件だ。 さて、ここでこの事件がどういう判決になるべきかは、今僕は問題にしていない。この鈴木貴子という人間1人に焦点を当てて話す。 例えば、弁護士が被告人の不遇な生い立ちについて話した時のこの人の感想。 「可哀想だと思った。ただ、同じような境遇でも一生懸命生きている人もいることも忘れてはならない」と言った。まだこの段階では、そこまで目くじら立てることではないかもしれないが、この発言自体かなり危険だ。この発言は「自分はちゃんと考えてますよ的」な、でも一般論であり自分の発言に満足してるだけだ。 そして、この後の発言が最悪であった。これに突き動かされ僕は今これを書いている。 この少年が友達に宛てた手紙が検察側から提示された。 内容は、被害者を馬鹿にするもので反省の色が見られないもの(実際の事件の時にもとんでもないものだと思った)。 それを聞いた、この女性の発言、 「それに書かれていることが、本当に事実書いてあるにせよ無いにせよ、それは人としてありえないことだし、今それを聞いて、この犯罪とこの被告人の残虐性がすっと自分の中で結びついた。」というようなことを言っていた。 この論理が完全におかしい。この女性は(今現在もああだこうだテレビでしゃべっているが)論理的思考が欠如しながらも、ただそういう発言をするのが好きなだけの馬鹿だ。 >本当に事実書いてあるにせよ無いにせよ もし、無いのだったら、判断するべきではないではないか。というか説明するのもバカらしい。 わかってくれますよね?この発言の無意味さというか論理を無視しているところを。 この鈴木貴子という一般女性を完全に否定したくて書いてる文章であるが、ここからこの裁判員制度の危険性を感じる。こんな人も裁判員になる可能性があり、そういう人が判断するのは危ない。 僕は「裁判員制度」に関しては賛成派だったのだが、今日この番組を観て、少し疑問に思った。 論理的思考を使いながらの馬鹿は嫌いだ。どっかで聞いたような言葉を並べ立て実がない人が嫌いだ。想像力、論理的思考を持たない人が嫌いだ。 ただ、断っておくと、感情的発言とか感情的な想いというのは全く否定しない。もちろん「裁判員制度」でも感情のおもむくままに判断する人がいてもいいと思う。もしそこにリスクがあるとしてもそれは、その前にその制度を導入するか否かでの前提での問題だから。 自分の文脈できちんと理論立てて考えている気になりながら、その論理が破綻している状況が危険だと思い書いている。そして、まさにそういう典型とも言うべき鈴木貴子という女性への感情的な嫌悪感から、それを理論立てて僕は書いている。 こういう馬鹿は大っ嫌いだ。
by m-s-t-pink
| 2006-07-20 03:56
| 考
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