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2006年 10月 24日
→①の続き
琴音はこのクラスの最初の授業を思い出していた。完全防音の視聴覚室に集められた。厚いカーテンが閉められ、正面にあるコンピューターディスプレイの微かな明かりだけでその脇に人影がうっすら見える。全員が着席するのを見届けるとその人が口を開いた。 「全員静かに、授業を始めます。」 そして、静寂の中にピアノの単音が流れ始めた。ピアノは4つの単音を不規則に繰り返した。琴音の頭の中ではAーDーG♯ーEがランダムに並び始めた。残響が時に不協和音となり一瞬調和したかと思うとまた不協和音を響かせた。しかし決して気持ちの悪い感じはしなかった。やがて低くチェロが鳴り始める。遠くで聞こえるようにヴァイオリンが旋律を奏で始める。いまだピアノは4つの単音を繰り返している。やがてピアノの右手が高音でCとC♯をトリルし始める。Aのコードだとするとメジャーかマイナーかが判別つかない。ヴァイオリンだけがやけにメロディアスなフレーズを奏でている。チェロも少しづつ色を変えてきた。もう少しだ。もう少しで調和の世界が訪れる、と思ったまさにその時、曲が開けた。曲が曲としてひとつの方向に向かい出した。そして次の瞬間、唸るような低音が響いた。歪むか歪まないかぎりぎりのベース音だ。そして、ドッドッドッドッとバスドラムがリズムを刻み始める。腹を、というより子宮を刺激する低音からのリズムだ。ピアノは単音の組み合わせながらもゆったりとした美しいトーンを奏でている。ヴァイオリンは比較的早いフレーズを繰り返している。チェロはどこか定まらないように低音と中音を行ったり来たりしている。ブレイク。 一瞬の静寂の後、何十人もの弦楽隊が一気にひとつのメロディを作り上げた。バスドラムのリズムはもう止んでいるが、それ以上の迫力だ。微かにピアノが出だしと同じ単音を繰り返しているのが聞こえる。メロディを追っているといつしかそれは機械的な音色に変わった。それは、それまで琴音が耳にしたことのない音だ。トレモロが効き過ぎているような音色。そして曲は唐突に終わった。 琴音はまさに肩で息をしていた。耳と心と体のバランスを完全に失っていた。頬に温かいものを感じて、泣いていたことに気付く。ただ今まで小さい頃からクラシックを聴いた時にあった純粋な感動とは、少し違うもののようにも感じた。正直呆気に取られたような気もしていた。 しばし物音ひとつしなかった。やがて部屋は少しづつ明るくなった。前方に男の人が立っている。それが先生だった。先生は口を開いた。 「初めまして。DTM初級クラスを担当する高梨です。今、皆さんに聴いて頂いた音は、全てこの、」と言ってDVDプレーヤーより一回り小さいくらいの長方形の機械を上にかざした。 「音源が奏でたものです。簡単に言うとMacとこれを繋ぎ、Macに打ち込んだ音譜、僕が作った曲ですが、それをこの音源が忠実に演奏したのです。このようなことを1年間学んでいく授業になります。もしこのクラスを選択して失敗したなと思った方がいましたら、遠慮なく後で言いに来て下さい。今日中に申し出た方には、この後の授業に出席することなく単位は差し上げます。興味を持った方は1年間よろしくお願いします。」 結果、全員が次の授業も出席した。 琴音は無事、進級試験をクリアした。そして同じ頃、家庭教師として英語を教えていた舞ちゃんは第一志望の高校に合格した。舞ちゃんと、その御両親に合格パーティの食事会に呼ばれ楽しい夜を過ごした。そしてそれが舞ちゃんに対する家庭教師のアルバイトの最後の日でもあった。 舞ちゃんはこれからもメールなどしていいかと琴音に聞き、たまには会いたいねと言った。琴音は、舞ちゃんは新しい生活が始まるのだしそのまま疎遠になっていくのだろうと想像し、寂しい気持ちにもなったが、「そうだね、これからもいつでも相談に乗るからね。」と答えた。しかし、舞ちゃんの方がより刺激的な毎日を送るのではないかと、私には相談に乗れることなどあるのだろうかと思った。なにしろ琴音は恋すらもしたことがないのだ。 春休みはたいていピアノの前か、パソコンの前に座って過ごした。学校とは関係なく仕上げてしまいたい作りかけの曲があったのだ。本も何冊か読んだ。本は、なるべく新しいものを読んだ。その前の年の芥川賞作品や、ここ数年ベストセラーになった琴音と同年代の作家のものを読んだ。家には昔の、もう作家が死んでしまっている名作と呼ばれるものはたくさんあったのだが。 4月に入りまた学校が始まった。 <続く> この小説を書き終えた時、「ただいま」と言えるような気がします。
by m-s-t-pink
| 2006-10-24 01:29
| 短篇小説
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