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2010年 08月 12日
今年の1月、Tが怪我をした。
サッカーの練習試合中に起こったその怪我は、その瞬間はさほど酷くないように思えた。Tは痛がりその日の後の練習試合は欠場したが。そして後日聞いてみると、右膝靭帯損傷ということだった。手術は必要ないが絶対安静で何ヶ月かが過ぎることになる。 2月のある練習試合で、Mが接触プレーで右手の薬指と小指を突き指した。非常に痛そうだった。結果薬指は骨折ということだった。 そのMは「今年はなんかついていない」と言っていた。私生活を含めいろいろと不運に見舞われると。ある日曜日にはお祓いに行くということだった。その日曜日の前日土曜の夜、Mと飲んだ。実際そこで聞けたMの話は確かについてなく、その夜なんとなく、その不運が僕に移りそうな気がすると思ったのは事実だ。冗談めかしてMにも言ったが、取り憑かれているようなMと飲むのは不安だった。 その1週間後の土曜の練習で、僕は左肘の骨を折り手術の為2週間入院することになった。 僕の所属するサッカーチームの話である。今年はうちのチームはなにかヤバいという雰囲気が流れていた。けれど僕の怪我が重症だったので、これで打ち止めじゃないかという気もしていた。 しかし僕が入院していた頃、キーパーをしていたHが左手中指と薬指を負傷。中指は剥離骨折ということだった。 その時、僕は言った。まだ終わらないのかよ、この連鎖は。 7月に入り、もうひとり。 Kがクモ膜下出血で倒れたというニュースがチームに飛び込んできた。そのことはチームで普段保険会社で働いている者から知らされた。Kは結婚を機にその保険会社に加入していたのでそいつは知ったのだった。しかし手術が無事済んだ後知らせた方が良いだろうという判断をし、その通り無事成功した後に僕たちは聞いた。 1ヶ月以上は入院しているということで、今日チームの友達2人とお見舞いに行って来た。ちょうど夕食を終えたところで、元気そうであった。 心臓の弁が細菌に感染し、それが脳の血管の一部にも移り、瘤(こぶ)が出来てしまったということだった。Kはまだ35歳と若いといえば若い。 非常に大きく、綺麗な病院で、部屋も8階で見晴らしが良く、Kも非常に饒舌で元気そうであった。 Kは東大出身のロボット研究者で、今年の春は論文にも追われ忙しくあまりサッカーの練習にも来られていなかった。その最中、酷い頭痛に苦しめられていたのだが、忙しさのあまり病院にも行かず一段落ついてから町医者に行くと大病院での検査を勧められた。倒れて運ばれたのではなかった。 本当に元気そうであったが、血液中の菌を殲滅するためまだ時間がかかること、心臓の弁の問題も残っていること、手術をした頭にはチタンのプレートが入っていること、血管の一部をバイパスで繋いでいるため頭に衝撃を受けてはいけないことといろいろ大変そうである。 サッカーチームに起こった一連の怪我や病気は偶然なのかもしれない。偶然なのだろう。けれど今年は多かった。そして今年はまだ終わっていない。サッカーに怪我は付き物だ、それを恐れて中途半端にプレーするわけにはいかないし、そんなことをしたらより怪我に繋がるかもしれない。 病院をあとにし、3人で楽しく夕飯を食べた。 いつ起こるかという不幸を恐れてシェルターに隠れているわけにもいかない。 ただ今を明るく生きていくしかない。 #
by m-s-t-pink
| 2010-08-12 23:38
| 考
2010年 08月 07日
最近はtwitter on masatoに呟いてる方が楽なのでブログの更新は疎かです。
肘の骨折を機にtwitterを始めたのだが、その骨折の現状について書いていこうと思う。 3/13、サッカーの最中に左肘を骨折した。上腕顆上骨折であるが、肘の関節もやってしまったので重傷。骨折の場合、保存療法というのか手術をしないでギブスなどで患部を固めて骨が自然に修復するのを待つパターンもあるが、僕の場合は手術が必要だった。折れた骨を金属のプレートやネジ、ワイヤーで固定する手術。その手術は3/18に無事終わった。 術後、通常であれば半年から1年くらいでそのプレートなりを取る手術をする。僕の場合、プレートが神経を傷めたことやリハビリが進んでいないこともあり、骨が固まり次第早めにプレートを抜きましょうとの主治医の判断であった。 手術から3ヶ月でレントゲン上は骨は順調にくっついており、4ヶ月で撮ったCTスキャンでも内部まで完全にくっついていた。これはかなり早い方。 そこで8/3にプレートを取る手術か決まる。 前日の2日から入院し、3日に無事手術を終え(今回も全身麻酔)、4日はいち日様子を見て5日に退院できた。 7日の今日現在まだ当然その傷口は塞がっていないので包帯が巻かれておりシャワーを浴びる時もビニール袋で濡らさないようにしないといけないのでメンドくさい。 10日後くらいに傷口を留めてあるホチキスを取る。そこからまたリハビリの勝負である。 つまり全治半年以上とかなり重い怪我であった。薬指と小指の尺骨神経麻痺についてはそれ以上かかりそうだし。 けれど。 本当に自分にとって良い経験であった。いろいろな意味で僕を変えてくれた。こんなことで人生観が変わったと言ったらあれだが、まあ変わった。それも初期段階に思った健康であることの有り難みということでは無く、リハビリを頑張っている時に思った強くなれたことでも無く、他の患者さんを見てきて思ったことが一番大きいのかもしれないが、そしてその出会いが教えてくれたことかもしれないが、なんというか、優しさを思い出したことが大きい。他人の優しさももちろんそうだが自分が持っていたはずの優しさだ。それだけじゃないし、上手くは言えないけれど、生きていきたい生き方についても考えることは多かった。 実際問題として出来ること出来ないことははっきりしたし(後遺症は残るだろう)、生き方のルートは変わった。そしてそれは僕が持っているものであった。 なにもかもをプラスに考えていくというようなポジティブシンキングではなく、おそらく本当に必要なことだったのだろうと今思える。逆に言えば、骨折の前の3月の僕は本当に傲慢だったのだろう。 僕は人の為になりたいと考えている。けれど出来ることは限られていて、それは結局その誰かが僕を必要としてくれているかにかかっている。そういうことを傲慢と言われてしまったら反論はあるが、そうではなくて本当に必要としてくれるのであれば、僕はそれを満たしていきたいと思う。 #
by m-s-t-pink
| 2010-08-07 23:16
| 想
2010年 07月 23日
ああ、俺は。
ああ、俺はそれだった。 そして音楽が好きだった。 ああ、俺の生活はそれだった。 それは嘘ではなかった。 ああ、幸せよ。ああ、俺はこのまま幸せに飲まれてゆくのか。 ああ、孤独よ。嫌だ。孤独は嫌だ。 あの日々に感じていた孤独よ。 その孤独は、まるで友達のようにそこにあり、それを満たす術も知っていた。 その術が繋がる世界を、僕は見ていた。 ああ、世界よ。 錆び付いたのではない。折れてしまったのでもない。 でも。触れただけで切れるようでは危険ではないか。 それ故、柔らかくしてしまうのが普通ではないか。 ああ、想い出よ。ああ、そこにいた君よ。ああそれは俺だ。 ああ、もう一度。 少なくとも、それは僕に向けて刃を立てることは、もうなかった。 つまり心をえぐってくれることもなかった。 果たして。 #
by m-s-t-pink
| 2010-07-23 02:12
| 想
2010年 07月 22日
キャベツが一玉で158円だった。
これを安いと知れる程に、僕は生活的になってしまった。良くも悪くも。 もちろんアーティスティックの反対に生活があるのではない(またその逆も)と今は知っているし、生きていく以上、食べて寝て、排泄だって必要だ。 トマトジュースと酒と、少しの睡眠と多大な思考と、感性だけで生きていくわけにはいかない。残念ながら。残念ながらと言える程には僕はまた戻ってきている。何に戻ってきているかはうまく説明できないが、なにかそういうものだ。 演出とギャップと、どちらにしても同じことだが、それを考えるとキリがない。 しかしながら、現実として今日僕は一玉158円のキャベツを買い、それを豚肉と一緒にバターと醤油で炒め夕食とした。明日の朝食用にキャベツを千切りにしておいた。それにハムの千切りを合わせドレッシングをかけ、フランスパンと一緒に食べる予定だ。 作品の方向性が見えていないのは、今も昔も変わっていないように思えるが、さらに昔に近づいたことがある。どう生きていきたいかという感覚である。 他人が自分を規定する。規定された自分に僕は今満足しているが、自分が規定した自分もまた必要な気がする。 僕はそれを取り戻す。 #
by m-s-t-pink
| 2010-07-22 00:09
| 考
2010年 06月 28日
継続は力なり という言葉があるのは周知の通り。
そしてその継続というものが大切であるのも、おそらく本当だ。 僕はどちらかというとそれを実行出来ていた方だと思う。 人は結果を求める生き物だし、それが短期で出せれば尚更良しだ。だからギャンブルに嵌る人が多いらしい。すぐに結果が出るから。 継続は力なりという時、それは当然ある程度長期的なものだ。 そして、日々の中で、ひとつひとつの中で結果が見えにくいものだ。 いや、そんなのは当たり前だ。とにかく何かを成し遂げる時に、継続は大きな力になり、たいてい必要なことだ。一応断っておくと、もちろん意味の無い継続だってあるだろう。 ブログを書き続けることが、意味のあることなのか、無いことなのか、それはどちらともわからない。ひとつ言えるのは僕がブログをあまり書かなくなっているということだ。このブログに対して何かの結果を期待しているわけではないし、その継続は無意味なことかもしれないが、やはりやるからには継続しないと駄目だろう。 もしかしたらブログなんてものには集積としての意味はないのかもしれない。そして書いた側からすれば消したい文章は多々ある。つまりひとつひとつの文章がその時の結果に過ぎずーおそらくそうだろうーそうであるならば例えば料理のように、毎回なくては困るが、食べてしまえば当然消えてゆくものとしての存在でありたいような気がする。食べずに残してしまった何日か前の料理が腐って食べられなくなるのと同様、何日か前の文章はもう意味を持たず、それが意味を持つのは出されたその瞬間だけである。そして実は料理が身体に何らかの影響を与えるように、ブログという文章もそうであればよい。 こういうことを書くつもりはなくて、本当はリハビリの継続性について書こうと着地しようと思っていたのだが、まあいい。料理のようだという発想が書いていて出来たことに自分で満足している。 その満足はつまり、自分が何かを作っていく時、作らなくとも仕事をするなり、会話での発言なり、サッカーのプレイなりそういうものが料理と同様の意味を持つといいと考えることが、なるほどということだ。 繰り返すが、料理は残らない。残せば腐る。出されたその時に食べた者にだけ少なくとも腹を満たすという意味があり、栄養として身体に良ともなるし、ジャンクな毒ともなる。 文章にしろ音楽にしろ、少なくともそこに到達できれば僕は満足だ。 という考え方の提示もこの瞬間のものであり、今日の料理だから明日になればレシピは変わるかもしれない。 召し上がれ。 #
by m-s-t-pink
| 2010-06-28 22:15
| 考
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