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2006年 03月 12日
自分だけで何かを作り出す、それはとっても楽なことだ。
例えば写真を撮る時。 自分一人で被写体を選び、構図を決め、設定を決めてシャッターを押す。良い写真が撮れれば、自分の力を誉めてあげていい。失敗すれば、自分で落ち込むなり研究するなりすればいい。 自分一人で0から100までをこなさないものでも、役割として自分一人というものもある。仕事としてみればこっちの方が多いだろう。 デザインをする人、作る人、売る人、といったように。 受付をする人、接客をする人、料理を作る人、ドリンクを作る人、といったように。 僕の作る音楽について。 仕事の場合。どんな素材が来ても、自分の出来る最善のところで自分に与えられた役割をこなす。それ以上でもそれ以下でもない。 わかりやすいように料理に例えてみる。ナスと牛肉とレタスを渡され、「何か作れ」と言われたら、一番美味しいと思うものを作る。そこで、「このナスはダメだ」とか言って選び直したりもしないし、「レタスは邪魔だから」と使わないといったこともしない。 作り終わった後、盛り付ける皿の指定もしない。 これはつまり、それが自分の与えられた役割だから。 さて、自分ユニットやバンドをやる場合。 そこでも、役割分担というのは存在する。僕はvocalではない。歌はvocalの役目だ。ギターやプログラミングは僕の役目だ。 でも、本当の意味では役割分担は無い。先ほどの料理の話で言えば、ナス一個一個にまで口を出す。vocalの歌のレコーディングをしている時、良い歌が録れない時は、自分が失敗したような気にさえなる(というか自分が悪いと感じる)。逆に最高の歌が録れた時は自分が歌えたように嬉しい。 僕のやるギター、ピアノ、音作りでも、僕が作ったのではなく、メンバー皆で作ったものだと、思う。 当たり前のことだが、それがユニットなりバンドといったものの作品作りだろう。 (本来は会社もそうあるべきだ、なんてわかったようなことも言ってみる) 複数の人間で何かを作り出す時、例えば4人なら、責任が25%づつになるわけではない。100%づつ背負うもんだし、達成感も25%に薄まるわけではなく、100%づつ感じられると思う。言い訳が残るとしても、それは誰かのせいではなく、自分のせいだ。 この先も、このスタンスで作り上げていこうと思う。 ちなみに、名前だけのわけわかんないコラボレートは嫌いデス。
by m-s-t-pink
| 2006-03-12 23:29
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