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2007年 01月 12日
昨日、昼間まず一件携帯電話から携帯電話へ発信をした。僕から着信があったことは履歴で分かるはずである。しかし夜になってもかかってこない。
また、別の友達から遊びの予定に関する質問メールが来たので、それに返答しつつこちらからも質問を交えたメールを返した。昼3時くらいのことだ。その返信が今現在来ていない。 そしてまた、仕事の予定に関する僕からのお願いのメールを別の人に出した。「いついつの予定ずらせませんか?無理なら大丈夫ですが。」といった感じで。それに対して、OKなのか無理なのかの返事が来ない。 大丈夫ですか? 僕はこの世の中にちゃんと存在していますか? 思えば自分にもある。返信のタイミングを逸してしまい結局返せず終いとか、勝手に文脈から自己完結してしまうこととか。 用件のないコミュニケーションというものを、どこかくだらないと思ってしまう自分もいる。ただ繋がっていることを確認するだけのコミュニケーション。それを否定しながらも多分そういうのもいいなと思うことも時にはあって、自分でもしたこともあったかもしれない。 mixiはやっていない。 という一文に深い意味はない。 「いやー、今日は寒いね。正月はいろいろバタバタしてたよ。」 そんなメールになんと返信すればいい? 「ほんと寒い。正月ボケもやっと直ってきた。」 そんなやりとりに意味はあるか? たぶん意味はあるのだろう。 用件なしに 「特に用はないんだけどさ、元気?」 そんなふうに電話がかかってきたら、全然普通にしゃべる。楽しくしゃべる。友達や親族であれば。また用があってかかってきた(かけた)電話で、その用以外のことも話す。コミュニケーションとはそういうもんかもしれない。 人と人の繋がりってのは大事なものだ。 もしなんなら、メールや電話やチャットの世界ではなくて、普通に道を歩いている時や電車に乗ってる時にも、当たり前にコミュニケーションのある世界でいい。知ってる人とか知らない人とかって判断なしに、 「こんにちは」「元気?」「その服かわいいね」「Can you speak Japanese?」 そうやってやりとり出来る世界。 いつからか、人は枠組み無しに他人に話しかけることをやめてしまう。同じクラス、同じ職場、家族、同じチーム。同じ枠の中の人間には話しかけやすい。その枠をどう捉えるかは人によっても違うが。自己という一番狭い枠に生きる人もいる。 また、枠は瞬時にして出来上がる。サッカーワールドカップでは日本人(ブラジル人あるいはイタリア人)という枠が。枠が出来れば瞬時に繋がる。 たとえば普段同じエレベーターに乗ったからといってそこに繋がりはない。しかしなんらかの故障などで3時間止まったとしよう。枠が出来上がる。会話が生まれる。 共通の敵を見つけたもの同士は味方になる、という話はここではしない。 いえば敵味方というのもある意味相互コミュニケーションはあるのだし。 枠さえ出来ればって世界だ。 でも同じ枠にたまたまいたから友達ってもんでもない。その中でもだんだんと選んでいく。まず知り合うきっかけとして枠があるだけという話だ。それなら別に枠なんてなくてもいいじゃないか。ただの自己対自己として話しかけてみること、知り合ってみること、それはやはり難しいか?駄目か? そういうことを言い出す前に僕はまず昨日連絡をしたかった3人と連絡を取れるように今日しなくてはいけないのだが。 そして、今これを読んでくれたあなたにも、会話を投げかけてみたい。 「元気ですか?」
by m-s-t-pink
| 2007-01-12 11:50
| 考
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