カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
SYALALA そらいろ日記。 さんぽみち watasi +photo 【匠のデジタル工房・玄人専科】 NASA'S LIFE soraとかkaraとか... delusion 立呑屋 半端者の行方について。 Casa de NOVA... e_co's blog 月亮代表我的心 *un deux trois* 最新のトラックバック
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2007年 04月 30日
今日4月30日は「図書館記念日」
僕は非常に図書館にお世話になっている。 売り上げ=収入となる作家の方達がどう思ってるかはわからないし、僕自身も買って家に置いておきたい作品もある。また国会図書館とかでなければ品揃えも怪しいものだ。人気作家の新作を借りられることはまずない。 図書館で本を借りる時、どこかで得た知識や情報により読みたいと思った作品を探すこともあるし、作家名で借りることもある。しかし、先ほども書いたように、その作品があるかどうかはわからない。あったらラッキーくらいなものだ。 買うのであれば、大きな書店で探すか、なければ注文して待てばよいし、ネットという手もある。当然、購入費がかかるのであるから、むりくり他の作品で我慢するのももったいない。 図書館というのは偶然の出会いを楽しむ場だと思う。 目当ての作品を探してもなかったりする、だからといって手ぶらで帰ってくるのも違うと思うし、自分の知ってる範囲外でも面白い作品というのはあるものだ。 感覚でタイトルとか、ジャケットとか、もう雰囲気で選ぶ。 自分のお金を使って選んだものがよい、という考え方がある。この考え方が正しい場合もある。自分のお金を使ってということは、それなりに吟味するだろうし、それで手に入れたのだから大事にするだろう。5万円持って服を買いに行く場合と、お店から好きな服どれでも持っていっていいよと言われる場合を想像してみればわかる。 確かに、図書館で借りるのは無料だ。しかし、本に関しては先の考え方は当てはまらないと思う。まず吟味のしようがないし、吟味=立ち読み、すなわち本を読むという最終目的をそこで果たしてしまっているわけだから。もちろん、最初の数ページ読んで面白そうだから買う、というのを吟味という考えも出来るが、それは逆に面白くなさそうだったら買わないわけで、その人はその本の先を読まないこととなってしまう。せっかく出会ったのに。 自分の時間を使って選んだものがよいという考え方がある。 何かしらの道具、例えば、バイオリンでも包丁でもタイヤでも、誰かがいいと言うものを一番だと考えるのではなく、自分で使ってみて初めてわかる。 しかし、πを考えてみよう。πー円周率は数学における道具として捉えられると思う。円の面積を求める時、「本当にπという道具を使うべきか?」と他の道具を探したり、「本当にπは3.141592・・・・・なのか?」とそれを計算しなおしてみる(そんな頭脳があったとして)のは無駄なことだ。(完全な無駄ではない、そういうことを考えてみることも必要だ、しかし試験中であれば無駄だ) さて、本に話を戻す。 読書が楽しいと思うには、やはり一番は片っ端から読んでみることだと思う。自分にとって面白い作品つまらない作品でもなんでも。 しかし、やはり時間は限られている。だから情報を求める。あらすじを求める。本屋で平積みされている本を手に取る。賞を取った作品を読んでみる。ベストセラーは相乗効果を産む。 確かに、そういう選び方もいいと思う。 あらゆる本に意味があるとは思わない。中にはどうしようもない作品もある。人生のあらゆる経験が自分のためになる、というのは違うように。 泥酔して路上で朝を迎えるというのは、経験しておいてもいいだろう。失敗は成功の母ともいう。万引きをして捕まってよいお巡りさんに出会ったってのもまあありかもしれない。しかし、人を殺すという経験はしなくてよい。ここで言っているのは殺人を犯した人間は全ていけないとかいう話ではなく、経験という話だ。「人を殺す経験をしてみたかった」というのは違う。その精神構造がわからないというのではなく、その経験は人生において必要ないし、必要であるなら想像力で補えよって話だ。 しかし、どうしようもない作品を読んでしまったところで、損するのは時間だけだ。 僕がその本の世界に飛び込むのか? 本が僕の心に入ってくるのか? 読書というのは不思議なものだ。
by m-s-t-pink
| 2007-04-30 12:05
| 読書
|
ファン申請 |
||