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2008年 05月 04日
10年前のその日、報道を知ったのは、夜になってからであった。
昼間、何をしていたかは覚えていない。テレビなど観なかったため耳に届かなかったのだろう。夕方から夜まで自分のバンドのスタジオ練習であった。今思うと不思議だがバンドメンバーの誰もその報道を知らなかった。 スタジオ練習を終え、帰り道、僕のことをよく知る女の子(友達)から携帯に着信がある。 少しパニック気味で、「ねえ、大丈夫?」と問われる。 「ん? 何が?」スタジオからの帰りだよ、とこちらは呑気なものだ。しかし相手の声色から瞬間気づく。 「え? 誰か死んだの?」「まさかYOSHIKI?」 なぜかYOSHIKIの名が出た。 その電話でhideの訃報を知ることとなる。 今から電車で帰るところだ、というようなことを言うと、その女の子はホームでは電車に本当に気をつけてね、と。大丈夫? 駅まで迎えに行こうか? と。最寄り駅が同じ近所に住んでいたのだ。 僕は半分笑って「大丈夫に決まってんだろ。特に構わなくていいから」と電話を切った。そしてベースの奴に電話をかけた。そこでの会話は覚えていない。 普通に家に帰ったし普通に過ごした。 当時23歳だった僕は自分が行きたい未来に行けると信じていたし、捕らぬ狸どころか獲った天下のことまで考えるほど勢いがあった。 でっかい花火のような「死」に対する憧れのようなものも持ってしまっていたかもしれない。死に急ぐのではないが生き急ぐこと、それは美学とも呼べるものだった。 hideの死は哀しかったが、その先の彼、またXのことを考えると残念という気持ちも大きかった。同時にいつもまだどこかで生きてるんじゃないかと思っていた。 『In Motion』という作品が出た時はなんとも言えない感覚に落ち入った。 そして10年。 この3月にはX JAPANの再結成LIVEに行った。そこにはちゃんとhideがいた。 昨日今日と「hideメモリアル・サミット」がある。僕はそのチケットは取らなかった。 そこまで興味が湧かなかったのだが、それでも関係するいろいろな人々の想いが10年経ち辿り着く場所としては良いと思う。 今年、hideと同い年の33歳として生きてくことに、僕は個人的に、本当に個人的に変な感覚を覚える。 人は進化また時に退化こそすれ、そこまで変化するものでもないのだな。 僕はもう本当にきちんと生きていきたいと思う。這いずり回ることが似合わなくなったらそれは多分僕らを捕える。それまではまだ飛べるのだと信じる。
by m-s-t-pink
| 2008-05-04 10:29
| 瞬
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